北条顕時(1248~1301)は、金沢文庫を創建した父の北条実時(1224~1276)と、金沢北条氏の全盛時代を築いた子の金沢貞顕(1278~1333)の間に挟まれ、影の薄い人物といわれてきた。しかし顕時は、外に蒙古襲来、内に得宗家の外戚安達泰盛と内管領平頼綱との激しい権力抗争(霜月騒動)の時代を生きた人であった。
安達泰盛と平頼綱との確執のなか、薄氷を踏むおもいで幕府政治に参与した顕時であったが、霜月騒動で安達泰盛に連坐して以後、下総国埴生庄に隠棲を余儀なくされた。平頼綱が得宗の北条貞時に討たれて以後、貞時の信任を得て幕府に復帰し、金沢北条氏の全盛時代の糸口を開いた。激動の時代の波にさらされつつ、波乱に富んだ人生を歩んだのである。
顕時は、審海長老のもと律院として発展を続けた菩提寺称名寺の基盤整備に力を尽くし、禅にも天台にも関心を持った信仰の人でもあった。
2001年は、北条顕時の没後700年にあたる。本展は、政治・信仰・家族などいくつかの切り口から、北条顕時の人物像およびその生涯をたどるものである。