村山知義(1901-1977)は20世紀初めに生を享け、1922年ベルリンに留学し、ダダや構成主義を目の当たりにして翌年帰国。「マヴォ(Mavo)」や「三科」を結成し、日本の近代美術に決定的な影響を与えました。「意識的構成主義」と名付けた独自の理論により制作された布や印刷物、毛髪などを貼り込んだ作品は、日本での最初期のアサンブラージュ(寄せ集め)作品となっています。本展は戦前の数少ない村山知義の現存作品をほぼすべて網羅し、1920年代に展開された美術の仕事をクレー、カンディンスキー、和達知男、永野芳光といった時代背景を伝える国内外の作品・資料とともに紹介する初の回顧展となります。
前衛美術家としての仕事以外に、ダンス・パフォーマンス、建築、映画、演劇、文学、童画、グラフィック・デザインなど多方面の仕事があり、自ら設計し大正期新興美術の拠点となった自宅兼アトリエの「三角の家」、日本初の構成主義による舞台装置「朝から夜中まで」、戦前の児童雑誌『子供之友』に掲載されたイラストなど、多彩な仕事ぶりを紹介します。「日本のダ・ヴィンチ」と呼ばれた村山知義の全方位的な想像力の解放、沸騰の軌跡を当時の写真や演劇ポスター、舞台模型、舞台図、童画の原画、装幀本など、約800点によって振り返ります。