元暦2年(1185)、惟宗忠久が島津荘の下司職(げししき又は、げすしき)に任命されて以来、島津氏は南九州、なかでも鹿児島を中心にして多くの庶子を分出し繁衍(はんえん)しました。明治維新を迎えるまでのおよそ700年余りに渡って、守護・地頭・守護大名・戦国大名・近世大名として、時代により立場を変化させながら鹿児島で重要な地位を占め続けてきました。
そのため、島津氏に関連する資料は日本史全体に関わる重要な資料が多くあります。なかでも圧巻は、「武家文書の白眉(はくび)」と評される東京大学史料編纂所蔵の国宝「島津家文書」でしょう。その他、尚古集成館・鹿児島大学附属図書館・黎明館などの機関に多くの島津家資料が大切に保管されています。
しかし,島津家関連の資料は実はこの他にも各地に多数伝来しています。この展示会では主に近世以降の、従来余り知られることがなかった島津家関連資料を一同に集めて展示し、これらの資料が鹿児島の歴史や文化を考える上で重要な意味を持ったことを紹介します。