名古屋市で生まれた大澤鉦一郎は東京高等工業学校(現東京工業大学)を中退し、1914年に知多郡八幡村古見に転地しました。その後、古見で画家として制作活動に励みました。同時期、東京では岸田劉生が草土社を結成し、1917年に草土社展が名古屋で開催されています。大澤鉦一郎はその会場に何度も足を運びました。そのことは、大澤の日記で明らかになっています。そして、同年に仲間7人と愛美社を結成しています。
大正期の大澤鉦一郎の作風は細密な描写であり、岸田劉生と似るところもありました。しかし、互いの存在は認識していたものの、生涯出会うことはありませんでした。
今回の展覧会では、同時期に活躍した大澤鉦一郎と岸田劉生の大正期の作品をご紹介します。二人の作風の類似性、異質性をお楽しみください。