豊臣秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱)から9年後-。日朝両国の国交回復に向けた交渉が進む中、朝鮮国から約500人におよぶ大使節団が来日しました。江戸時代を通じて計12回来日したこの使節団は「朝鮮通信使」と呼ばれます。当初は捕虜返還・国情視察も目的としていましたが、次第に江戸幕府将軍の代替わりごとにその祝賀使節として招かれるようになります。
通信使一行は釜山から船で出航したのち、玄界灘・瀬戸内海を航行します。大阪からは幕府の御楼船で淀川を上り、淀で上陸したのち、陸路で江戸を目指しました(12回目のみ対馬まで)。その途中、各藩の贅を尽くした歓待があり、一般の人々も外国文化に直に触れる貴重な機会として大いに注目しました。
本展覧会では、朝鮮通信使によって日朝両国を結んだ道を「通信使海道」と名付け、通信使やその歓待に関わる資料を展示・紹介します。戦争の傷跡を乗り越え、250年以上にわたる両国の友好的関係を実現した朝鮮通信使と、そこに関わった人々の思いにぜひ触れてみてください。