天正19年(1591)2月28日、豊臣秀吉の怒りを受けて千利休が賜死。それによって、千家は存続の危機を迎えました。
利休の二人の息子のうち、道安は飛騨や阿波などに身を潜め、少庵は蒲生氏郷のもとへ預けられました。会津の大名、蒲生氏郷は利休七哲の一人に挙げられる茶人でもあり、少庵を保護し、徳川家康とともに秀吉へのとりなしに尽力したとされています。京都に戻った少庵は、権力とは一定の距離をおいてわび茶人に徹し、利休の茶の湯を忠実に継承していきました。それは少庵の子・宗旦へと受け継がれ、現在に続く千家茶道の礎となっています。
本展覧会では第1部「利休の茶の湯の継承者」、第2部「桜花とともに散った氏郷の生涯」の2部構成により、利休の茶の精神やそれを受け継いだ千少庵と蒲生氏郷の茶の湯をゆかりの品から紹介するとともに、会津を治めた戦国武将・蒲生氏郷の足跡をご覧いただきます。