明治22年(1889)現在の岡山県笠岡市に生れた小野竹喬は、14歳で瀬戸内海に面した故里を後にして、京都の竹内栖鳳に師事をします。
あたたかで素朴であると評されることが多い竹喬の作品ですがが、<竹橋>の雅号を用いていた時代には西洋絵画への関心が強く見られ、次いで大正10年(1922)から翌年にかけての渡欧を機に、「線」による表現へと方向を変えています。やがて南画への憧れが強まる昭和前期を経て、戦後は『奥の細道句抄絵』に代表される象徴的な表現へと画風は変化しています。こうした変遷はそのまま、一歩一歩手探りですすめられた模索であり、それは文化勲章受章後もやむことなく最晩年における墨彩画の挑戦へと続いています。
その一方で、描かれる対象は常に日本の自然でありつづけ、明るく清澄な画面において、それぞれの景色には光の変化や季節のかすかなうつろいまでもが表わされています。一年のうちのある季節、一日のうちのある時間という一端を描きながら、大自然の息遣いをも想起させる竹喬の作品は、自然が絶えず変化しめぐるという普遍へと私達の思いを至らせます。
竹喬の自然を見つめるまなざしや表現への探求は、昭和54年(1979)に89歳で亡くなるまで変わることがありませんでした。
小野竹喬生誕120年にあたる本年、初公開作品を含む100点余りの代表作を通して、あらためてその生涯をふり返りたいと思います。