元禄14年(1701)3月、勅使の接待役であった浅野内匠頭は、江戸城松之廊下で、突然、指導役の吉良上野介に切りつけました。その結果、内匠頭は切腹、浅野家はお取りつぶしとなったのです。主君の恥辱 をそそぐため、 大石内蔵助ら四十七士は結束し、翌年12月14日、吉良邸を襲撃し敵討ちを遂げました。
事件後、大石らは細川家などにお預けとなりましたが、藩主綱利は義士たちの忠義を賞賛して手厚くもてなしたのです。本展では、大石内蔵助の自筆の手紙や細川家側と義士たちとの対話を記録した「赤城義臣対話」などから赤穂義士の実像と、彼らの忠義に賞賛をおしまなかった細川家の「武のこころ」にせまります。
また、63年間におよんだ綱利の藩主在任中は、水前寺成趣園が造築され、相撲の吉田司家が招聘 されるなど、江戸文化が肥後にもたらされた時代でもありました。水前寺庭中図や狩野派の絵師たちの作品もあわせて紹介いたします。