1864年、パリに生まれたアンリ・リヴィエールがジャポニスムと出会ったのは、モンマルトルのロドルフ・サリのカフェ「シャ・ノワール」でした。当時「シャ・ノワール」には、芸術家や文化人、前衛知識人が多く出入りし、社会批判や政治談議が繰り広げられると同時に、芸術家たちの新しい作品の発表の場となっていました。当時のメンバーには、ロートレックやスタンラン、オーリオルなどがいます。
1882年、サリの創刊する文芸雑誌「シャ・ノワール」の編集補佐に抜擢されたリヴィエールは、この仕事で多くの芸術家と交流する機会を得、当時流行のジャポニスムに触発されることとなりました。そのリヴィエールが美術史上で特に重要な位置を占めるのは、木版画の復興と多色リトグラフの開発です。リヴィエールの良き制作中間であり『エッフェル塔三十六景』の表紙とその装丁を担当したジョルジュ・オーリオルの作品、そして北斎などの浮世絵も合わせて展示します。また、リトグラフ制作には欠かせない、アドバイザーであり刷り物のウジェーヌ・ヴェルノー、リヴィエールの日本美術への興味と蒐集に大きくかかわった美術商 林忠正、『芸術の日本』を発行したサミュエル・ビング、そしてリヴィエールが亡くなるまで友情をもって援助し続けたヌフラール家にも触れ、作品への理解を深めていきます。