1901年(明治34)年1月、大阪の出版業界にセンセーションを巻き起こした諷刺雑誌『滑稽新聞』が創刊される。その編集方針は「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもせず、ハッタリもせず」。
出版したのは宮武外骨。強烈な諷刺精神に満ち溢れ、メディアの創成期を縦横無尽に駆け巡った稀代のジャーナリストである。
宮武外骨(1867年、香川県生まれ)は、1887(明治20)年4月に東京で雑文雑誌『頓智協会雑誌』を創刊。以後、“過激にして愛嬌あり”の精神で活躍し、筆禍による入獄4回、罰金15回、発禁処分14回を数えながらも、1,000冊を超える発行物を残す。また1924(大正13)年には民本主義者の吉野作造らの計らいで東京帝国大学法学部の嘱託となり、翌々年に創設された「明治新聞雑誌文庫」の職員として、主に明治の新聞、雑誌の収集に専念し、1955(昭和30)年に享年88歳で破天荒な生涯を終えた。
本展は、当館が2005年度より開催してきた近代大阪の戯画シリーズ「笑いの奇才 耳鳥
斎!~近世大坂の戯画~」展、「明治大阪の錦絵新聞」展につづく第3弾として、大阪のみならず現在の出版業界、漫画雑誌に多大な影響を与えた外骨の波乱万丈な生涯と反骨漢ぶり、彼が遺したユニークな出版物を紹介するものである。