生物生態画のパイオニアとして知られる牧野四子吉(まきのよねきち/1900-1987)の展覧会を開催いたします。牧野四子吉はそれまであまり知られていなかった「生物生態画」というジャンルを確立し、『広辞苑』や『ファーブル昆虫記』『ジャポニカ大日本百科事典』といっただれもが知っているような書物から、生物図鑑、教科書、専門書まで生涯に約3万点もの挿絵原画を描きました。またその一方で『ビアンキこども動物記』をはじめとする児童を対象とした書物の挿絵なども数多く手掛けました。
小さいころから絵が好きだった四子吉は、15歳のときに川端絵画研究所(のちの川端画学校)に入学し、日本美術院や中村岳陵などのもとで研鑽(けんさん)を積みますが、画壇のもつ保守的な体質に馴染むことが出来ず、しだいに日本画の世界から離れていくこととなります。そして川端画学校を卒業した彼が熱心に取り組んだのが、当時さかんに生みだされていた童話や絵本の世界でした。
『赤い鳥』『金の船』『キリヌキオトギエホン』・・・描かれた童話の挿絵はどれも優しさやかわいらしさにあふれ、子どもや生命を大切に想う四子吉の気持ちがよく伝わってきます。また当時の大正自由人たちの社交場(サロン)であった東京・本郷の書店兼カフェ『南天堂』に出入りするようになり、大杉栄、辻潤、竹久夢二、林芙美子、サトウハチローといった気鋭の芸術家、小説家たちとの交流を深めていきます。
ところが29歳の時に後の妻となる中村文子とともに京都に移り住むことになり、近くの京都帝国大学(現京都大学)理学部動物学教室からの依頼をきっかけとして、「生物生態画家」としての道を歩みはじめることとなります。以来半世紀以上にわたって牧野四子吉は動植物の生態画における第一人者として類まれな活躍をつづけました。
本展ではこうした牧野四子吉の代表的仕事である超細密の生物生態画を多数ごらんいただくとともに、今回が初出品となる初期の日本画作品から、大正モダニズム期の雰囲気を今にとどめる童話挿絵、デザイン画、関連資料などあわせて約1000点をご紹介いたします。
本展が牧野四子吉のたゆみない画業を振り返る機会になるとともに、数々の生き物たちの姿にこめられた生命や生きることに対する四子吉の想いをじっくりと感じとっていただく機会となれば幸いです。