1935 年、岩手県盛岡市で教師をしていた高橋忠彌は、教育現場を揶揄したことで教職を追われ、上京、画家として歩み始めます。
以後、独立美術協会を中心に活動を展開。同郷の詩人である宮沢賢治の文学に触発され、文学性や詩情味あふれる独特の表現世界を確立してゆきます。1965 年にはパリに居を移し、新たな表現技法である空気遠近法を獲得して1972 年に帰国。ヨーロッパの風は彼に、新たな造形性をもたらし、以前にもまして、詩情味あふれる夢の世界へと誘うかのような新たな表現を示しました。
また、高橋忠彌を物語るには欠かせない仕事として、戦前から数多くの装丁やグラフィックデザインなどデザイナーとしての一面も見逃すことができません。今回は、彼が亡くなって7 年を期して、90 年にわたる画業を回顧するものです。