1954年5月、岡本太郎は東京・青山、現在の骨董通り近くにアトリエ(現岡本太郎記念館)を構えました。坂倉準三建築研究所によるモダンなアトリエ兼住居を、岡本は「現代芸術研究所」と称し、自らの芸術運動の拠点と宣言します。彼がここで目論んだのは、戦後の活動から一歩広がりをもたせ、丹下健三や柳宗理ら先鋭の建築家やデザイナーらも巻きこみ、より総合的に前衛芸術運動を再燃することでした。この時期の岡本は、日本のグッドデザイン運動の先駆けである「国際デザインコミッティ」(現日本デザインコミッティー)への参加や、美術家同士の連携をはかる「アート・クラブ」で代表をつとめ、アンフォルメル流行のきっかけとなる「世界・今日の美術」展を実現するなど、周囲との連携のなかで新たな芸術運動の道を探りました。
やがて1961年に二科会を脱退するのを機に、単独で、より直接的に大衆へ訴える方向に転換していきますが、50年代での活発な人的交流は、その後1970年の日本万国博覧会の太陽の塔へとつづく岡本の展開をみるのに欠かせない大きな基盤となるものでした。
本展では、デザイン的な活動など岡本の知られざる面をご紹介するとともに、1954年から1970年までの彼の劇的な展開を人々との交流とあわせて読み解いていきます。