近藤浩一路(1884-1962)は、東京美術学校の西洋画科に学んで、はじめは洋画家としてスタートした。同級生には藤田嗣治や岡本太郎の父一平らがいた。卒業後、一平は朝日新聞の漫画記者となり、浩一路も大正初期から読売新聞に漫画や押絵を描き、二人は漫画にユーモアのきいた短文を付けた「漫画漫文」のスタイルで売り出した。夏目漱石の小説『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』を漫画にしたことでも知られている。
漫画家として活動する一方、モノクロームによる描画への関心からか次第に水墨画への傾倒を深めた浩一路は、小川芋銭や川端龍子らの日本画研究団体「珊瑚会」に参加し、一風変ったその絵は、やがて横山大観にも認められて日本美術院の水墨画家として再出発することになった。
1922年(大正11)年、パリにいた藤田を頼ってのフランス旅行と帰国後の中国旅行が転機となって、浩一路は洋画的な光線表現を生かした水墨技法を編み出していった。深い陰影に満ちたその表現は、芥川龍之介から「少し肉の匂いのする」水墨画と評されている。
この展覧会は、生誕120年を機に浩一路が初期に描いた油彩や漫画作品から晩年までの水墨画の代表作を網羅し、交友し不断に刺激しあった同時代の画家たちの作品もあわせて紹介して浩一路芸術の全貌に迫る。(途中、展示替があります。)