山口県三隅村(現・長門市三隅)生まれの画家・香月泰男(1911-74)は、太平洋戦争における自身の応召と戦後の抑留体験を帰国後「シベリア・シリーズ」という作品群に昇華させたことで知られています。幼い頃から絵に興味を示し、東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科を卒業後、北海道の倶知安中学校、下関高等女学校で美術教師を務めながら、国画会展や文展に出品していました。そうしたなか、召集され旧満州(中国東北地方)のハイラル(海拉爾)に送られたのは、1943年香月32歳、徐々にその頭角を現しはじめていたころでした。1945年8月の敗戦で、今度はシベリアの収容所に送られて、1947年5月に帰国するまで、飢餓と酷寒のなか強制労働の厳しい生活を強いられます。この間も、自ら画家であることを決して忘れず、描くことが出来ない状況のなか、さまざまな構想を温め続けていました。これが、「シベリア・シリーズ」を生み出すことになるのです。戦後香月は、ふるさと三隅に居を定めて、この「シベリア・シリーズ」制作のかたわら、ふるさとを「〈私の〉地球」と呼んで、身近な自然や風景、家族、動植物を、独特の感覚で描いていきます。さらに、時には日本国内や海外に出かけていき、各地をみずみずしいタッチで描いた作品も残しています。今回の展覧会では、山口県立美術館所蔵「シベリア・シリーズ」を中心に、若き日から戦後までの画家の様式の変遷や表現の幅を伝える作品、さらにふるさと三隅で描いた家族や郷里への愛情に満ちた小品を加えて、広く香月の画業を紹介しようとするものです。昨年は香月没後30年の節目の年でした。それに併せて大規模な回顧展が全国を巡回しました。当展は、その展覧会を新たに組みなおして広島の皆さんにお届けするもので、広島ではじめての本格的な回顧展になります。今年、広島は被爆60年を迎えます。香月という稀有の画家の歩みと作品を通して、画家の内面に刻み込まれた戦争の傷跡とその超克の軌跡をたどることができ、広島で開催する意義の大きな展覧会でもあります。